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2008.02.09

A・猪木 vs S・小林(74年)。

有言実行です(笑)。

「管理人の心に残った昭和プロレス名勝負について書いていこう」という企画なんですが、一発目は何にしようかなってのがかなり迷いました。お気に入りの試合って多々ありますし、音楽同様にプロレスも管理人の当時の心象風景と重ね合わせて見ますから、おいそれと選択はできない。

それに、当たり障りのない話もしたくないし…(苦笑)。

でも、あれこれ考えていても前に進まないんで、今回は素直に管理人をプロレスに引き込んだという試合を選んでみました。

それが74年3月に行われた、アントニオ猪木とストロング小林の一戦でございます。

Inokikobayashia_2

この時期のアントニオ猪木ってのは、まだ新日本プロレスを旗揚げしたばかり。アメリカの大物外人ルートが馬場=全日本プロレスに抑えられていて、なかなか満足できるカードが組めないような状態が続いていたわけです。

それが、ライバル団体である国際プロレスのエース・ストロング小林が離脱→東京スポーツ所属のフリー選手になり、猪木と馬場に挑戦状を送った事がキッカケになり、夢の対戦が実現したと。そして、この猪木vs小林戦をキッカケとして、昭和50年前後からは"大物日本人対決"が花盛りとなっていくのであります。

小林の国プロ離脱が、実は新日プロ(猪木&新間寿マネージャー)による引き抜きだったのかどうか、この辺はよく解りません。

しかし、「力道山が日本でプロレス興行を始めてから日本人vs大物外国人という対決を軸に興行を行ってきたプロレス界が、大物日本人対決にシフトしていく」という、そのエポックメーキング的な試合となったのは事実。

この事から、猪木&新間コンビが稀代の興行師だった事が窺い知れますし、その才能が初めて発揮された記念碑的な試合が今試合だと考えると、非常に感慨深いなと。

試合自体は、力道山vs木村政彦以来の大物日本人対決と表現される事もありましたが、ともあれ「封印されていただろうけれど、日本人が最も興味があった」という対決の構図を持ってきた、そして実現してしまったという事が、いま考えても素晴らしい着眼点と行動力だったのではないだろうかと考えます。

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管理人は小学生になったばかりの頃でして、この大一番が初めて意識してプロレスを見た瞬間でありました。当時はワケの解らない喧騒に巻き込まれていた風情でしたが、それでも「ただ事ではない」という雰囲気だけはつかめていたと思います。

ビデオを眺めてみても、まず歓声が全体的に野太い声で支配されている(笑)。プロレス会場が所謂「女子供」の領域ではなかったという事が端的に解りますよね。女の子の姿がプロレス会場に増えたのって、たぶんテリー・ファンク(※78年の全日プロ・オープンタッグ選手権)以降ではないでしょうかね。

で、その風情ですから「下手な事は出来ない」という緊張感が画面から漂ってくるわけです。

これって、アメリカのプロレスがカーニバルなどから発展してきた事とは違い、力道山が持ち込んだプロレス=日本のプロレスというモノの特殊性をも表しているのではないかと。果たし合いとか、ナショナリズムとか、いろんなモノがごちゃ混ぜになっていたのが日本のプロレスですね。闇社会とか政治関連との付き合いも深かったし、そうなるのは必然的だったのではないかと。少なくとも、そう見える様に説得力を付ける事に腐心していたのでは無かろうかと。

仮にあの喧騒状態の中で下手な事をしたら、会場にいただろう血気盛んな方々に何をされるか解らないでしょうしねぇ(苦笑)。

そんな感じで、見る側には「真剣勝負」という見方が大前提としてあるワケでして、実際はショーなのだろうけれど、レスラーにはアスリート的な側面もかなり要求されていたハズです。

話を戻して、猪木&小林のご両人にスポットを当てましょう。

お互いに30代に差しかかったばかりで肉体的に全盛期だったですし、そのぶつかり合いってのは非常にリアリティがあります。それを象徴するのが、猪木のフィニッシュホールドとなったジャーマン・スープレックスの見事さかなと。

Inokikobayashi1 Inokikobayashi2

上の2枚が「猪木が頭を先に付けて、ブリッジだけで強引に小林の身体を後ろに持っていったジャーマン」という有名なシーンの写真です。

これ、右の写真をよく見てください…「小林の身体をマットに沈めた後に、猪木の両足がマットから大きく浮いている」のが解るかと。専門家的にどうなのか説明をお願いしたいところですが、これって猪木のブリッジが相当に強固でないとできない芸当だと管理人は思います。あの状態でバランスを保つというのは、相当に難しいのではないだろうかと。

このワンシーンだけでも、日本プロレス史上でも屈指の名勝負だと云う事が窺えますし、猪木の全盛期の「肉体の説得力」が解ります。

試合の流れってのは、お互いにグラウンドでつばぜり合い→時折、猪木が仕掛けたラフな展開→最後の大技の攻防…ってな感じのオーソドックスな進み方です。オーソドックスなだけに、双方の魅力が不足なく伝わるし、「ラフ&テクニックの猪木」と「パワーファイターの小林」という対照的な個性も際立っています。

Inokikobayashib Inokikobayashic

Inokikobayashid Inokikobayashif

本当に「昭和巌流島の再現」に相応しい、名勝負だったと思います。力道vs木村戦の様な歪みまくった試合で終わらなかった事で、余計にプロレスの凄さが際立った試合にもなりました。

ところで、猪木を馬場に置き換えてみたらどうだったのかな…なんて考える事がたまにあります。ただ、当時の馬場には余裕が感じられたけれど、猪木の様なギリギリの切迫感には非常に乏しかったから、こういう試合をプロデュースする事はできなかったんじゃないかな。ましてや、自ら踏み出そうともしなかっただろうし。

馬場は外人ルートや体格の説得力も含めて持っているモノが多かったですが、猪木は一貫して持たざる者としてプロレス生活を強いられて来ました。そこからくるギリギリの切迫感が、日本人対決というアイデア、肉体の説得力+プロレスのアスリート化を更にアップしていこうかと考える原因だったのではないかな。馬場のゴージャスな闘い振りに匹敵するだけのモノを、仕掛けの速さとアイデアで補っていくしかなかったのが猪木でしたから。

それを考えると、この名勝負は猪木にしかできなかった。

そして同時に、現代の猪木に最も欠けている部分でもあります。

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コメント

ボクも先日、この試合観たんですけど…
ここまでピュアになれなかったっていうか
例の小林の●モ話が、嫌でもちらついちゃって
観ている自分の目がツイツイ野次馬的な見方になっている事に気付きました。
裏話的な話って、その場では面白いけど
やはり伝説は伝説として取っておきたかったなと。
その裏話は兎も角、猪木のジャーマンは正に芸術的。
この事実は翻る事はありませんね。
確かこのジャーマンで猪木は首を負傷、
以来、封印されたっていうのは
やはり梶原一騎の創作なのでしょうか?

投稿: 6-4-3 | 2008.02.10 10:05

4-6-3様>

フルスイング、お待ちしてますから(笑)。
昨日は見ましたけれど、帰国子女の子に萌え。

>例の小林の●モ話

敢えて触れなかったんですよ>ホ●話。
この試合を取り上げているブログで、
大体がそこに話が落ち着いてしまうという。
今回はなるべく
リングの上だけに集中するって、
そういう趣向で行きたいなと思いまして。

>猪木のジャーマンは正に芸術的。

アレは凄いよね。
何度も見返しちゃいましたよ。
あそこに辿り着くまでに
凄く展開が急になって行くじゃないですか。
その期待感というか煽りの巧さにも感心。

>以来、封印されたっていうのは
>やはり梶原一騎の創作なのでしょうか?

でしょうね>梶原史観(笑)。
アントニオドライバーも
新日では披露してないでしょ?
単純に腰が悪くなってたという問題と、
肉体のピークの問題じゃないかと。

猪木のジャーマンって、
記憶が正しければ
84年の長州戦(最後の蔵前)あたりまで
大一番でも見た事がなかった気がします。

投稿: kikka | 2008.02.10 13:29

舟橋「超満員蔵前国技館16500人」
桜井「20年前ね,ここで力道山と木村がここで凄惨な試合をしたんですが,
今日はねプロレスのとしての好試合を期待したいですね」
舟橋「さあ激しく燃える両選手」
以上暗唱してます。
まあ小林が勃起したなんてのはつまらぬ後付ですよ。
当時は小林がゲイなんてトップシークレット,
まさに天下分け目の決戦だった印象しかない。
個人的に好きなのはフィニッシュ前の小林を一発で倒した
ナックルパートね。大木戦でも試合前に見せましたが。あのへんの
試合の緩急のうまさと発するオーラは天才ならでは。
まさに「猪木さんにプロレスでは勝てない」(前田)ってことでしょ。
ちなみに管理人がおっしゃるように最後の蔵前決戦84年8月の猪木対長州では,
ジャーマンとナックルパートが出てますね。最後の蔵前へのオマージュでしょうか。
決め手も引退試合と同じグランドコブラだし。長州脱退直前だけに意味深ですね。
猪木のジャーマン封印については,単純に卍や延髄ぎりの方がテレビ的にいいと
判断したのかなという気もします。藤波出現後は特に。

ただいま「新力道山奮戦録」編集中。あえて1983年当時のCMつきにしておきます。

投稿: イエデビ | 2008.02.10 23:37

イエデビ様>

お待ちしてました。
あなたのお陰でネタが一杯になりました(笑)。

>以上暗唱してます。

さすが(呆)。
話を逸らすけれど、
僕は古館よりも舟橋慶一さんの実況の方が好きです。
古館だと、表現は大げさなんだけれど、
却って軽さを感じる時があるんですよ。
舟橋さんの声のトーンが、
桜井さん(原康史)とマッチしてるんだよなー。
小鉄が絡むと、古館の方がいいんですがね。

>個人的に好きなのはフィニッシュ前の小林を一発で倒したナックルパートね。

あれね、今回の写真で載せたかったけれど、
清美川が邪魔して上手く見えなかったの(苦笑)。
ただ、小林が場外で猪木の額を割ってから、
本当に急展開になりましたよね。
あの緩急の付け方というのが
長州以降のプロレスには皆無だと思ったんだけれど。
今のプロレスを見て、
最も不満で面白くない部分ですよね。

>猪木のジャーマン封印

ああ、なるほどね>藤波出現後。
藤波の得意技がドラゴンスープレックスでしたからね。
肉体の衰えと、営業政策が重なったって事ですかね。
ただ、卍と延髄斬りだけだと単調ですよ。
そうした場合には、投げ技は華ですな。

>ただいま「新力道山奮戦録」編集中。
>あえて1983年当時のCMつきにしておきます。

CM付きって所が、
管理人に気を使ってらっしゃるね(笑)。
久しぶりに、デス(byアッコ)の声が聞きたいね。

投稿: kikka | 2008.02.10 23:52

私も若い頃レスリングをやってたが、アマの場合固めない。遊び半分でジャーマンスープレック”ホールド”をやったことがあるが、1番、恐怖を感じるのが首!自身の体重と相手の体重を首で支えるってところ、怖いと自然に猪木のように自分が先にブリッジして後から相手が乗っかってくるやり方になる、または相手の横っ腹に自分の頭が来るようにしてブリッジするやり方、いずれにしても「カールゴッチ」のようにはできなかったなぁ~。

投稿: ビル・ロビンソン | 2014.10.19 02:32

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