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2006.02.28

藤村甲子園の産みの親、逝く。

イエデビさんの所で教えてもらった形になりましたが、このページでも追悼文を書いておこうかなと。

脚本家の佐々木守氏が24日にお亡くなりになりました。

シナリオライターの佐々木守氏が死去

※富山新聞社Webページより

テレビ脚本で有名な方だったし、特に円谷特撮関連の脚本家としても重要人物の一人でした。

が、僕にとっては『男どアホウ甲子園』の原作者としての印象が強いんです…というか、このイメージしかないといった方が適切かも。

 doaho

男どアホウ甲子園は、僕が最も影響を受けた野球マンガ。藤村甲子園と恋女房(つまりキャッチャー)の岩風五郎とのやりとりは、小学生の時にちょっとしたブームになった事もありました(微笑)。

「いくでぇー、豆タン!」
「はいな、あんさん!」

作品自体は、前半は佐々木の脚本の影響が色濃くて、学生野球の話なのに全共闘だとか右翼だとか左翼だとか北鮮だとかドヤ街での暴動だとか、とにかく異質な野球マンガでした。水島新司画伯の野球マンガの中でも異質極まりないですな。

が、数ある野球マンガの中でも屈指の名作であるのは間違いない

自分の目的のためならズンズン突き進む主人公=藤村甲子園に、振り回されながらも内助の功的に支えていく岩風五郎、その関係を軸にして展開していく物語は花登筺ばりの人情物でした。

僕にとって羨望だったのは、藤村甲子園の「どんな敵が現れても、バカ丸出しで剛球一直線で勝負する」(by丹下左文字)という愚直さでした。

自分の持ち味=剛球を磨いて磨いて強行突破していく…そんな強引さが、臨機応変な器用さが求められている現代だからこそ逆に羨ましく見えたりするんです。これは連載当時(30年前)も現在も同様に抱いている感想です。

そんな類い希な強烈なキャラクターを作り上げたのは、絵を描いた水島画伯もそうですが、佐々木守の個性に拠る所が大きかったのではないでしょうか。

叩かれても叩かれてもピュアな心を維持したまま前進する…それは青臭い理想論ではあるけれど、まずは「そこに立ち返れ」という佐々木のメッセージかなと。藤村甲子園を通して世間に伝えたかったのではないかと、勝手に想像しています。

こんな偉大なキャラクターを作った脚本家に、合掌。

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コメント

佐々木守は常に体制を撃つ側にいました。
正義の味方が殺す大義名分を持てない怪獣を生み出しました。
英雄から抹殺され怨みに狂うジャミラ。
怪獣というだけで排除lされ続けるシーボーズ。
人間関係のフィクションを哂うメトロン星人。
地球人の血を欲し続けるス●ル星人。

そこには排除され虐げられ差別された者の叫びがこめられていました。

藤村甲子園も同じ。八百長を強制する野球部。グランドでは全共闘と右翼が争う。
南波高校自体が,社会から取り残された連中のコミュニティであったのか。
そしてそこで「野球がしたい」だけのために一人戦う藤村甲子園。
汗と涙の清き高校野球から程遠い設定は,佐々木氏が確信犯的に考えたものでしょうね。
出場停止や剛球仮面や東大入学あたりは佐々木氏のカラーでしょうか。
豆たんの失明や延長18回2試合は水島のカラー。
「あしたのジョー」の梶原とちばにも通ずる,両者のつばぜり合いが名作を生み出したといえます。
これ以降,水島は物語を描けず試合を描くだけの漫画家になってしまいましたが。

最終回に甲子園は,鬼頭に「昔の甲子園の球には怒りがあった」と言われて,
その怒りで戦後最大の英雄=長嶋を討ち取ります。
それは,異端を排除してきた戦後の日本社会への皮肉を込めたメタファーだったのかもしれません。
水島はそれを知ってか知らずか,あえて成長物語と描いていますが。

投稿: イエデビ | 2006.02.28 22:24

イエデビ様>

スイマセン、こちらにもお越しいただいて。

特撮関連に関しては詳しくないですが、
確かに虐げられた者の叫びとか、
体制を撃つという姿勢が
佐々木氏の脚本には感じられましたね。
イエデビさんが上に挙げた怪獣達もそうですし、
シルバー仮面の春日5兄弟は
パルチザンのように逃亡生活を送ったりしてたと。
そういう負の立場を描くのが上手いかなと。

そういえば、高校聖夫婦とかおくさまは18歳といった
コミカルなドラマの脚本も、
よく考えたら世間では簡単に受け入れられない
モノを描いた作品ではありましたね。
世間の批判に晒されながらも夫婦関係を築いていく、
そこに我を貫く事=反体制であるとの匂いを
嗅げない事もないかなぁと思ってるんですが。

>「野球がしたい」だけのために一人戦う藤村甲子園。

敢えて詳細を書きませんでしたが、
甲子園が属していた南波高校というのは、
アウトサイダーが集まった「どぐされ高校」だった。
右とか左といった思想的なモノの対立があったり、
八百長を強要されたり番長連合に脅されたりと、
とても野球をやってられるような環境ではない。
しかし、この悪環境というのは
日本の実社会においても
隅々にまで蔓延っているモノだったりする訳で。

でも、甲子園の「剛球一直線」と「野球への思い」は
類希なるピュアなモノに描かれています。
そのピュアなモノが世間に蔓延している悪循環を撃つ。
この痛快さは比類無いですよね。

ふと思ったんですが、甲子園の存在は、
安保闘争などで戦った学生達、
つまり結局は世俗的なモノに飲み込まれた学生達、
そんな彼らに捧げたのかもしれません。

>「昔の甲子園の球には怒りがあった」

この怒りを取り戻させたのが、
一世一代の土壇場勝負なのに
敢えてカーブを要求した豆タン=岩風五郎だった。
岩風という無二の同士がいたからこそ、
甲子園は自分の欲する場所に留まる事が出来た。
最後も甲子園の実力が発揮できるような、
そんな賭けを行い、見事に成功したワケです。
それは二人に野球という共同幻想があったからこそ
成り立ったんですよね。

この二人の信頼関係を見るにつけ、
内ゲバなどで空中分解してしまったり、
シラケ気味になっていった学生運動などに対する
強烈な皮肉にも見えるんですがどうでしょうか。
あるいは世間自体がミーイズムを志向し始めた、
そこに対する皮肉にも見えたりもするのですが。

>戦後最大の英雄=長嶋を討ち取ります。

これはイエデビさんがおっしゃる通りですね。
ただ、後期の男どアホウは、
意図していたのかどうか解りませんが、
直接的な批評を嫌っていた気がしますね。
水島画伯が嫌ったのか、
佐々木氏が自重したのかは解りませんが。

それにしても、最終回で語っているのが、
プロ野球を追放された男=鬼頭哲と、
社会のはみ出し者である博徒=左文字というのが、
マンガの色を象徴していますな。

うーん、もっとジックリと語り合いたいですな。
コメント欄だとスペースが足りない(苦笑)。

投稿: kikka | 2006.03.01 05:10

男どあほうは第1話は水島先生が作っていますから、水島先生のハッタリやケレンといい具合に絡んだ結果でしょう。お二人のバランスが程よい感じで混じり合った。ただ、今読み返すと佐々木節は古くなってるけど、水島節は古くなっていない。『なごり雪』は時代を超えるけど『神田川』は昭和の一時代と不可分なのといっしょですね。「オレは時代と寝なかった」by三島由起夫

佐々木先生の問題点と言えば、
 虐げる者=家父長制度=天皇制
という図式が、あまりにクッキリと出ていたことでしょうか。川原由美子先生に原作提供した「ソルジャーボーイ」とか、そこら辺が色濃く出ていましたね。横暴な父親に反発するモチーフというのは、雁屋哲先生と同じパターンですな。水島先生も父親像が割と希薄なタイプ(ドカベンも主人公はおじいちゃん子)なので、佐々木原作と上手く癒合できたのかな?

投稿: 斑牛の伊達 | 2006.03.06 00:05

伊達くん>

どうもどうも。
ボチボチとレスしますわ。

>今読み返すと佐々木節は古くなってる

いや、そうは思えないんですよ。
佐々木が傾倒しただろう思想が
世間的に見ると敗北に陥ってるじゃないですか。
その状況をフィルターにしてみると
却って今だからこそ冷静に見られる気もしますが。
藤村甲子園があれだけ強引に突き進んで行く姿とは、
非常に普遍的なモノを感じるのですが。
そのキャラクターは佐々木脚本の賜物じゃないかな。
決して水島の作風からは生まれなかったと思います。

あぶさんもドカベンも野球狂の詩も、
最近のモノは読むのが辛くなってるんですよ。
いや、それなりにこちら側にグッと迫ってくるんだけれど、
何かが足りなく感じたりするんですわ。
時代と寝る事で失うモノも多いかもしれないけれど、
甲子園もあぶさんもドカベンも鉄五郎も、
時代を身に纏っていた時の方が物語に厚みがあるかな。

投稿: kikka | 2006.03.06 00:48

たぶん漫画好きって、水島派とちばあきお派に別れると思うんですよ。で、どあほうは1970年スタート、2年弱のズレがある「キャプテン」とはほぼ同時代。

ただ、作品としてのテイストは、学生運動や全共闘の70年安保挫折を入れていたどあほうの方が確実にあの当時は新しかったし、むしろ昭和30年代後半を思わせる長屋風景のキャプテンの方が、古くさく鈍くさかったような。ただ、それから30年以上の月日がたって、古びていないのはどっちかといえば、ファンの贔屓目を割り引いても、キャプテンに軍配が上がるような。

時代と寝た作品は爆発力があり、時代と寝なかった作品は普遍性がある。そう言うことのような。ドカベンは高校野球のときは時代と寝なかったですが、プロ野球編になって松坂やら出してきて、時代と寝ちゃった。あぶさんも、十年一日の如く閑古鳥の大阪球場の頃は、リアルタイムで信仰しながら、どこか俗世間と切り離されていたような気がします。それが福岡移転以降、時代と寝るようになったような。

アブサンが超人になった点よりも、そっちのほうが現在のアブサンに感じる居心地の悪さかも。古典落語を聞いてたら、いきなりご隠居さんがマシンガンで久万さんを撃ち殺すような。そんな違和感。

投稿: 斑牛の伊達 | 2006.03.07 02:28

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