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2006.01.03

力道山…今年の研究テーマ。

30日あたりから、イエデビさんに渡すためにNHK-BSのスポーツ特番をいろいろと見ながらダビングしていたのだが、そこで一つの番組に凄く興味が惹かれた。

一昨年放送された『力道山 比類なきリングの輝き』という2時間近いドキュメンタリーがその番組。

よくもまぁ、1年以上前に撮った番組がHDDレコーダーの中に残っていたと、我ながら呆れてしまった…といいつつ、ジックリと番組を見てしまって、こんなエントリーを起こしてしまったワケだが(苦笑)。

今年は、韓国で上映されて人気を博した日韓合作映画『力道山』も晴れて日本国内で公開される。彼には興味があって力道山関連の書物やDVDも持っていたりするので、ここはジックリと研究するつもりで追っていこうかななんて、ビデオを見ながら決意したりして(笑)。

映画『力道山』オフィシャルサイト
※配給:Sony Pictures

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僕は、いにしえのレスラーだとルー・テーズという人に興味があって、レスラーとしての一番の理想像だと今でも思っているくらいに憧れている。彼の関連のDVDは購入はしてないけれど確実に目にしているし、流智美というプロレスライターが本名で自費出版した写真集も高校の時に購入していたりするほど熱心だ(←自分で書くな)。

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力道山に興味を持ったのは、テーズを追っていった流れでぶち当たった…というか、昭和30年代のプロレスを語るのに「日本プロレス界のパイオニア」である力道山を外す訳にはいかないだろう。だから、当然の帰結というワケ。

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しかし、力道山が元々「北緯38度線の北部地域」出身だという事が、これだけスムーズに語られる様になったのは、時代が変わったからだけなのだろうか。ちょうど北朝鮮や韓国とのイザコザもあるから、余計にその部分がクローズアップされた感はある。

力道山死後、業界内のタブーだった彼の出生に関して一番最初に触れたメディアは、たぶん文藝春秋社の「Number」(83年3月5日号)だったのではなかろうか。実は、その号はシッカリと購入していて、今でも大切に保管してあったりする。

 number

Numberを読んだ当時は、やはり晴天の霹靂のような感覚を抱いた。いうなれば、日本復興のシンボル的存在だった力道山が、実は隣国の出身だったという事実はショッキングだった。彼にしたら植民地時代に本国に渡ってきたという感覚だったのかもしれないが、それにしても朝鮮半島民族のヒステリックなまでの日本に対する感情を考えると、力道山が事実を隠し続けていた事は意外としか言いようがなかった。

以前にちょっとだけ紹介した森達也『悪役レスラーは笑う』でも、グレート東郷とともに力道山についての考察が記されている。が、鋭い視点で歯切れの良い考察を見せる森ですら、その【ねじれたナショナリズム】に対してどう表現をして良いのか言葉につまっている風である。

謎は謎のまま封印しておくのもいいかもしれないけれど、力道山という時代の寵児を語る時、やはり出自の部分は明らかにせざるを得ないのだろう。

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僕の場合は、上記の事柄よりもプロレスラーとしての力道山のファイトスタイルの方に興味があったりする。

試合の流れなんかは、今のスピーディーな展開のプロレスや格闘技と比較すると、空手チョップ一発で終わってしまうような試合は退屈で仕方がないだろう。僕の友人のプロレス好きなんかでもそういう感想が多かったりする。猪木と馬場というプロレス界の偉人のファイトを経ているから、尚更かもしれない。

が、DVDなどで力道山の試合を改めて見直すと、プロレスの基礎=受け身とかグラウンドテクニックは今のレスラーよりもシッカリかつ力強くて、なおかつ空手チョップに代表される打撃技には激しさを感じたりもするのである。一発一発に説得力があるしね。そして、試合会場の雰囲気も混沌かつ猥雑な感じがして、こちらの想像力を刺激してくれるようなシチュエーションに見える。

いやぁ、まさに天下を取った男の生き様が現れているんですよ、リングには。そして、同時に彼に対する興味や疑問がたくさん沸いてくるのですよ。

例えば、柔道の鬼・木村政彦との「昭和巌流島」での不可解な結末。

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件のドキュメンタリーで村松友視が解説してたけれど、プロレス八百長論を盾にとって挑戦してきた木村に対して、それを打ち破る事で君臨し続けようとする力道山の、人生における最大のヤマ場的な雰囲気があった試合だ。

それにしても、いくら木村が急所に攻撃を加えたとはいえ、あれだけ激昂してトコトンまで追いつめる必要があったのかどうか。あるいは力道山の木村に対する一種の「約束破り」と邪推させるくらいの攻撃を、何故あそこで見せたのか。

"空手チョップ"と言うよりは"張り手"とか"掌底"を連発して、おまけにダウンしている相手への顔面蹴りまで連発させている。当時のプロレスでは「禁じ手」に近い攻撃をこの時だけは加えてしまってる訳だ。

今の総合格闘技の試合よりも迫力がある攻撃を、あそこで見せた真意は何だったのだろうか。試合の「歪み」の面白さも含めて、もっともっと検証したい場面ではある。

それと、僕は57年のルー・テーズとの世界選手権試合2連戦と、力道山自身の最期のタイトルマッチとなった63年のザ・デストロイヤー戦の映像を所有している。

その両者を比較してみると、明らかに力道山の試合の進め方が変わってきているのが解る。

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体力的にも絶頂期だったテーズ戦、晩年で衰えを見せていたデストロイヤー戦、前者のガップリ四つに組み合って肉体の限りの攻防を見せる姿と、後者のヤラれている姿に色気がある姿とを見ると、アントニオ猪木の試合運びの変化と似たようなモノがオーバーラップされてきたりする。

だんだん「力道山が力道山を演じる事」が難しくなってきて、いろんな部分で歪みが出てきていたのだと思う…その顕著な例がファイトスタイルの変遷に現れているのではないか。

例えば「睡眠薬を常用していた」という話、前妻と離婚して亡くなる10ヶ月前に再婚した事、そして裏社会との関わり合いの中での軋轢など…いろんな尋常でないストレスがかかりそうな出来事が、当時の力道山には一杯あった。そういった事を頭に入れてデストロイヤーとの一戦を眺めると、非常に切なくなったりする。

やはりプロレスラーの生き様は、素直にリングの上に現れるモノなんだなぁ…と感心してるが、「自らの衰えに際して興行主としての力道山がどうシフトしていったか」という事柄も推測できるのではないだろうか。

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他にも、事業家や興行主としての才覚や、後援者である新田新作を始めとして児玉誉志夫田岡一雄という「日本の裏世界に君臨した人達」との関係なんかも気になったりする。

"戦後日本のヒーローの光と陰"などと簡単に言ってしまえばそれまでかもしれないけれど、先に挙げた出自の部分なども含めて非常に複雑な人生を歩んでいる彼が、何故にあそこまで生き急いでしまったのか。

今のIT長者達のように立身出世のハングリーさはあるが、そこにナショナリズムを始めとしたいろんなモノが絡んでくるために、考えれば考えるだけ力道山の存在が巨大化してくるのである。閉塞感を感じる現代だからこそ、彼のような巨大な存在を追ってみる事に勝手に意義を感じてみたりして。

そんな感じで、たまに思い浮かべた事があればドンドン書いていきたいと思ってます。資料の紹介等、何かある方はご連絡をください。よろしくお願いいたします。

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