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2005.06.12

モハメド・アリ かけがいのない日々

 1996年に制作された、プロボクシングの元世界王者モハメド・アリを追ったドキュメンタリー映画。彼がいた時代の背景も含めて、非常に興味深い映像だった。

Ali


 原題は"When we were Kings"、直訳すると"我らが王であった時"。彼のキャリアの中でピーク時だったと思われるジョージ・フォアマンとの "Rumble in the jungle"と名付けられた一戦を追ったドキュメンタリーだ。アリはここで最強のハードパンチャー=フォアマンに対し劣勢を挽回し大逆転でKOする。そして、この試合は後に"キンシャサの奇跡"としてボクシング界、いやスポーツ界の名勝負として語り継がれる事になる。

 当時のアリというのは黒人の民主化運動の波の中で、所謂ブラックモスレムの象徴(敢えて悪く言うと"広告塔”)だった。そして、ベトナム戦争において徴兵拒否をして、チャンピオンベルトを剥奪される。復帰したもののジョージ・フレージャーに苦戦を強いられるなど、往年の輝きが失われていたと思われた矢先のイベントが、ザイール(現コンゴ民主共和国)の首都キンシャサで行われた"Rumble in the jungle"だったわけだ。
 このイベント自体はザイールの大統領が国家をアピールしたいが為に組んだものだった。僕はこの映像を見るまで知らなかったが、ジェームス・ブラウンやB・B・キングなど黒人ミュージシャンのライブも合わせて行われた大がかりなモノだった。北朝鮮で行われた「平和の祭典」にも似た、プロパガンダ色が強いイベントと言えば解りやすいのではないか。(※ちなみに興行師はドン・キング。彼がボクシング界で権力を獲得していく第一歩のイベントだった)

 僕には結果的にアリはブラックモスレムとザイールの双方に利用された男にも見えたりするが、それでも彼なりに独自の意味合いを見つけていく。アメリカを始め世界中の黒人達の故郷であるアフリカ、そこでイベントを行う事の意義を、いつも通りのビッグマウスで盛んに喧伝するアリの姿は、何らかの使命感を感じながらその場所にいたという印象も与える。その使命感とはアメリカにおいての黒人解放という大命題に基づくものであるという事は言うまでもないだろう。そして目的達成の手始めとして、フォアマンに勝利するという事を切望していく事になる。
 ザイール大統領の軍部を使った独裁政治が背景にあっただろうが、参加者の緊張も少し見え隠れする。しかし、それを補ってあまりある程に、"アフリカという名の故郷"で使命を全うしようとしている姿が目に付く。少なくともアフリカの国々では人種的偏見は無く社会的に自立している(別の方面での差別はあるだろうが)。アメリカに於いて当たり前であるはずの人間の権利を喪失していた者達が、アフリカにて自己の確立をしようとしている。

 そんな中、同じ黒人のボクサーであるはずのアリとフォアマンの立場が、ボクシングでの立場と逆転してくる。ザイールの観客は王者であるフォアマンよりもアリを支持している事が徐々に鮮明になってくる。それは、先に書いたように黒人解放の象徴的存在であったアリのカリスマ性に追うところが多かった様に思う。
 だとすると、このアフリカでの物語のエンディングは、アリの勝利、それも世間をアッと言わせる程の劇的な勝利で終わる事しか徐々に考えられなくなってくる。僕は結果を知っているからこう思うが、たぶん当日会場にいたキンシャサの観衆達もそう思っていたのではないか。"アリ、ボンバイエ!(アリ、殺っちまえ!)"の大合唱が、それを切望している事を象徴している。

 アリは見事にフォアマンを大逆転KOに葬り去る。これはアリが血気盛んなフォアマンにパンチを打たせスタミナを消耗させたという伏線があったのだが、全ての観客を味方に付け8ラウンドから突然の様に猛ラッシュしたアリには、それこそ"神の見えざる手"が勝利に導いた風にしか見えなかった。黒人としてのアイデンティティを全て身に纏った男に神が幸運をもたらし、逆に強大な男としてそびえ立っていたフォアマンには試練をもたらす。それほど両者の明暗がクッキリと分かれた試合だった。

 確かに神はアリに味方した。その貴重な証拠が本作だ。

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コメント

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050612-02516699-jijp-spo.view-001

タイソンの引退。
この男のドキュメンタリー映画は出来ないでしょうね。
史上最強のチャンピオンになることが出来たかも知れないのに、残念な結末です。
いったい、何が間違っていたのか・・・。

投稿: kiosk | 2005.06.12 15:57

kiosk様>

>残念な結末です。

アリとタイソンを分けるもの、
それはボクシング以外の世界を
背負っていたかどうかです。
アリがあそこまで巨大になってしまったのは、
彼が類い希なるカリスマ性を持ってたからでしょう。
あそこまで世間を巻き込んだボクサーは
たぶん今後も現れないでしょう。
逆にタイソンの場合は、
トレーナーだったカス・ダマトが亡くなって以後は
風船の様に彷徨っていますよね。
自分で道を切り開いていった人間と、
周囲に振り回されてしまった人間の違いが
如実に出てしまった結果ではないかと。

タイソンが今後、
悲劇のボクサーとして語られる可能性はあります。
しかし、僕らは"アイアン"マイク・タイソンの
全盛期を知っているだけに一抹の寂しさを覚えます。

投稿: kikka(Mac屋の店員) | 2005.06.12 19:36

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