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2005.05.31

我、拗ね者として生涯を閉ず(その2)

 本田靖春著『我、拗ね者として生涯を閉ず』を読んでの第2回目。昨日、雨がかなり強く降っていたので、本作を繰り返し読みながらあれこれと考え事をしていた。

 本作についていくつかのネット評を見たが、賛否両論という感じだろうか。例えば「大新聞の記者然としたところがあって少し鼻に着く」とか、「本田をしてこのような低レベルになってしまったか」とか、そういう感想がいくつか見られた。
 確かに今作は本田が自分の仕事を振り返るというのがテーマなだけに、自慢話と捉える向きもあるだろうし、ノスタルジーに支配された文章なのかもしれない。大新聞の記者然としたところ、例えば社の黒塗りのハイヤーを使って取材をしにいくところや、厚生省の主計副課長とかに脅迫まがいの直談判をしてしまうところなどは、読む人にとっては「何様だ!」って感じでイイ気分はしないのかもしれない。
 それを補ってあまりあるほどに、彼の初志(←昨日書きましたね)に従順な愚直なまでの取材活動は、他人から見ると常人の域を超えている程の熱心さは、そして最後まで事件記者としての立場を守ろうとしている事は、読んでいる者の胸を打つ。そしてノスタルジーに浸ってるかのような文章も、彼が死期を間近に控えている事を考えれば納得いく事ではある。やはり本書は本田にとっての「遺言」だったとしか思えない。

 話は変わるが"ネットとメディアの融合"なんて言葉がいろんな所で頻繁に利用されている。新聞記事などの代用としてインターネットを使おうという話もあるし、某ホリエモンに至ってはしたり顔で「新聞、テレビを殺します」などと勘違いな意見を言ってたりする。

江川紹子ジャーナル 堀江貴文氏インタビュー

江川紹子ジャーナル 井上Yahoo!社長インタビュー

 江川紹子女史とホリエモンの会話の中で、後者が韓国のオーマイニュースを引き合いに出して新聞の代用品としてのネット活用を説いたりしている。またLivedoor自身も"パブリックジャーナリスト"なる集団を養成して、オーマイニュースの日本版のようなものを立ち上げている。
 オーマイニュースにもう少し触れておくと、ビジネスとしては未知数の部分がある。ただ、ネット文化が大きな勢力になっているだけあって、韓国の大統領選挙に影響力を及ぼすなど無視できないモノにはなっている様だ。

 だが、スペシャリストではない人間が、生業でない者が記事を書いたとして、そうそう説得力のあるモノができるのだろうか?

 まず、当たり前の事だが取材するにはコストがかかる。それと取材時間だって相当数が必要だったりする。あと記名式を採用する事によって、いい加減な記事を書かない様に予防策を練っているが、いかんせん「箱庭の住人」達に自分の名前が出てしまう事のメリット&デメリットを覚悟するだけの気構えがあるのかどうか。仮に書いた記事に批判が殺到したとして、素直な態度で謝る事、逆に頑とはね除けるだけの頑強な態度を示す事、そういったモノが渦巻く孤高の場所に立てるのかどうか。

 新聞社の記者達というのは、良い意味でも悪い意味でも社の看板を背負って動いている。それに何度かの講習を受けて一朝一夕に記者になってしまう訳ではなく、例えば"サツ回り"、例えば販売店での体験講習、例えば先輩達から綿々と受け継がれる取材ソース、そして自分で作り上げていく取材ソースなど、いろんなモノを一つ一つ身に纏いながら成長していくのである。
 ネットの中でも、反響が大きくて事件記者以上に成長する方は出てくると思う。少なくともインターネット自体にはそれだけの勢いもあるし。だが、本田ほどの覚悟を以て取材に当たる人間がでてくるかどうか、それはやっぱり未知数だ。少なくとも生業にする勢いで取材をする向きというのは、そんなに出てこないだろう。
 真剣にLivedoorとかが記者を養成するんだったら別だが、それだけのコストを堀江くんがかけるとも思えないし(苦笑)。何より報酬が「Livedoorポイント」っていうのがやる気が見えない最大の証拠(笑)。

 最近の新聞記事を見るにつけ、ネットに流れている戯言と比較して"どっちもどっち"という印象はある。が、江川紹子女史が書く様に"使命感を以て書く"事は、記事を作るに当たって最も重要な事柄ではないだろうか。それが"新聞記者"と"箱庭の住人"では比重が違う様に思うのだが、いかがだろうか。
 そして、最も両者の使命感の違いが現れるのが、取材の部分であるのは言うまでもない。

 "株価とお金にしか興味のない堀江くん"にこそ、本田の著作を一から全て読んでもらいたいものだ。

【追記】
 夕刊フジの書評、読みました。グダグダ言ってるウチに、あなたが取材に行けばいいでしょ…会社経費はいくらでも使えるんだから。一部分だけクローズアップさせて書評する事って楽だよね。でも、あなたの立場でそれをやっちゃイカンでしょ?

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コメント

僕のブログへのTBとコメントありがとうございます。
確かに、記者は警察と一緒で「現場百回」ではないですが、
その現場で自身が見たこと感じたことを
素直に書くべきだと思います。
そして、そのためにも他資本から独立した新聞社の
記者が生業として、権力者を監視していくことが
大切だと感じます。
確かに、ホリエモンの新聞不要論はただ単に
記事はお金と交換可能なものであるという
論理から成り立っていると感じます。
その記事ができるまでの取材課程を重要視しない
ようではメディア統括は彼には無理でしょう。
ならず者記者ですが、ご忠告ありがとうございました。

投稿: tomonofu | 2005.06.08 17:29

tomonofu様>

改めてトラバ&コメントありがとうございました。
実は僕も少し紙媒体で仕事していた事があって、
その分メディアに対する言い方がキツくなる部分があります。
そこはお許し下さい。

>記者が生業として、権力者を監視していくことが
>大切だと感じます。

CivilianControl(文民統制)が
民主主義の第一原則なのではないかと。
ただ、そこまでの思いを持って仕事に当たっている記者が
どれだけいるだろうかという思いに苛まれる事が最近は多いです。
tomonofuさんのように自覚的な記者もいるのかどうか…。
ただ、バランスは取らなければいけないですがね。
確かに紙媒体だって売れてナンボという部分はある訳ですから。
でも、第一として上に書いたような事は思っていてもらいたい。
それがマスメディアに対する理想ではないかと思います。

>確かに、ホリエモンの新聞不要論はただ単に
>記事はお金と交換可能なものであるという
>論理から成り立っていると感じます。

お金を持った子供が「これ欲しい!」って
駄々こねている風にしか見えないんですよ>堀江くん。
そんな輩に「新聞を殺します」って言われてもねぇ(苦笑)。

>ならず者記者ですが、ご忠告ありがとうございました。

不躾なメッセージに反応していただいてありがとうございました。
今後のご活躍、期待しております。

投稿: kikka(Mac屋の店員) | 2005.06.08 22:31

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