先にニュースの文面を貼り付けておきます。
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(毎日jp 09年6月18日付より)
脳死を人の死とし、15歳未満の臓器提供に道を開く臓器移植法改正案が18日、衆院で可決され、実現に向けて大きく前進した。法制定から12年。海外での渡航移植を強いられた家族や支援してきた医師らが一刻も早い成立に期待を寄せる一方、脳死状態に陥りながら今も命を刻み続ける子どもの家族は複雑な心境をのぞかせた。
脳死を人の死とする臓器移植法改正案A案が衆院で可決されたのを受け、A案の推進派、反対派がそれぞれ東京都内で記者会見した。
「(議員が投票する)札一つずつが、子どもの命のように見えた」。拡張型心筋症のため昨年12月に1歳4カ月で亡くなった一人息子、聡太郎ちゃん
の遺影を手に国会で傍聴した中沢奈美枝さん(34)は、推進派の会見でそう振り返った。「聡太郎のことと同時に、脳死になった子の親御さんの気持ちが頭に浮かんで。母として同じ気持ちだと思う」と、涙を浮かべて話した。
そして「これまで聡太郎のような子どもの命は、取り残され救われなかった。でも移植によって、別の命が取り残されてはいけないはず。救える命を救い、どんな立場の人もきちんと医療を受けたと納得できる制度が生まれてほしい」と話した。
「胆道閉鎖症の子どもを守る会」の竹内公一代表も「今回、長年一緒に活動をしてきた仲間が、推進派と反対派に分かれてしまった。悲しくつらいが、しっかりした移植医療を定着させて誤解を解けば、いつか分かり合えると信じたい」と複雑な表情で語った。
一方、反対派の会見で、東京都大田区の中村暁美さん(45)は「脳死の子は死んでいない」と体を震わせ訴えた。娘有里(ゆり)ちゃんは2歳8カ月の時、原因不明の急性脳症で「臨床的脳死」と診断された。中村さんは「亡くなるまでの1年9カ月間、温かく成長する体があり、娘を一度も死んだと思わなかった。今回の可決は心外」と怒りをあらわにした。
「臓器移植法改悪に反対する市民ネットワーク」事務局の川見公子さんは「救急医療体制の整備など審議されていない問題も多い。参議院の良識に期待し、A案が弱い人の命を奪わないよう今後も頑張りたい」と強調した。
拘束型心筋症のため、約2億円の募金を受けて渡米し、5月にロサンゼルス市内の病院で心臓移植を受けた長野県飯田市の小学2年、山下夏君(7)の父猛さん(34)は「夏のような思いをする人がいなくなる一歩だ」と語り、臓器移植法改正案の早期成立に期待を寄せた。
4案が採決される異例の事態には「いろいろな考え方はあるが、海外に行かないと移植が受けられない現状を改善して、患者の思いを優先してほしい」と訴えた。
昨年2月、心臓移植のための海外渡航準備中に拡張型心筋症の長男丈一郎君(当時9歳)を亡くした福岡県久留米市の自営業、石川祥行(よしゆき)さ
ん(37)と妻優子さん(37)はインターネット中継で衆院可決を見つめた。優子さんは「一つの大きな門が開いた」と話す一方、「移植は誰かの死があって成り立つもの。『可決してよかった』という言葉は使えない」と配慮も見せた。
優子さんは「息子が生まれる前からの問題が大きく動いた。丈一郎の命には、改正を後押しする使命があったのかもしれない」。祥行さんは「法改正だけで移植は増えない。移植に対する医師の理解を底上げする必要がある」と話す。
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臓器移植法改正の件は、衆院議員が(共産党を除いて)全て自由投票をするという、非常に難しい選択を迫られた一件でした。
「現在、脳死状態にある子供患者の家族」も、「臓器移植を待ち望んでいる難病患者の家族」も、子供を生かしたいという気持ちから発言しているのがよく解ります。
ただ、そこに個人の倫理観が絡んでくるだろうし、送り出す側と受け容れる側の立場の違いもあり、そこが今回の投票結果への賛否の分岐点なんだろうなと考えています。
個人的には、文の最後の方の「移植は誰かの死があって成り立つもの。『可決してよかった』という言葉は使えない」というコメントが一番心に響きました。移植手術が国内で行われようが、渡航を余儀なくされようが、誰かの死を前提にしたものであるというのは疑いの無い事実です。その事実を移植される側は意識していただきたいと思います。
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仮に臓器移植法が可決されたとして、すんなりと臓器移植ができるかといえば、日本ではどうなんだろうか。
臓器移植とは離れるかもしれないけれど、身内の話をひとつ。
管理人の親父が急逝した時に、病院への献体を依頼されました。これは「病状の説明を受け、延命措置を止めるかどうか、家族への同意を得る」という医師との話し合いの後でした。
医師と面談していたのは、管理人とウチの母親と姉貴の三人でした。ただ、三人のうち誰もが「延命措置を継続するか否か」の発言を迷っていたので、長男である管理人が重い口を開けて代表で話す形にはなりました。
「延命措置」は、しばし迷った挙げ句に医師に終了を依頼しました。そこに至るまでは、何度も何度も「回復の望みの有無」を聞きましたけれどね。
しかし、献体の申し出は間髪入れずに拒否しました。
ちなみに「献体」の意味は次の通り←Wikipediaより。
献体(けんたい)とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って医学部・歯学部の解剖学教室などに提供する事である。
正直ね、「身内の死は身内の中だけで終わらせたい」という気持ちが強かったですよ。それだけに「身内以外の人間に、父親の身体を触らせたくない」「なんで赤の他人に(遺体を)切り刻まれなきゃイカンのか」という思いがありましたね。
この管理人の考えって、日本人の「人を弔う倫理観の典型」だと思っています。
ウチの親父の場合は高齢での死去で、心臓とか無理矢理動かして生命維持をしていた部分もあり、すぐに「死」を受け容れられました。それでも、他人に触れられたくないと思う拒否の感情があったわけです。
ましてや「脳死」患者の身内の方々は、完全な「死」に至ってないだけに拒否反応は激しいと思われます。生かしているのが身内の我が侭だとしても、「身内以外の人間に道筋を決められるのはもっての他」だと考えているはずです。
臓器移植法に関しては、この気持ちを踏まえて審議していただきたい。難しい問題であるだけに、なおさら遺族&患者の思いを反映させて欲しいと感じる次第です。
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